あんなに美味しそうなのに

料理は苦手である。10年かかって地味ごはん(和田明日香サンの本)を買い、子どもに大好評だと書いてあった長芋ソテーを作る。青森は長芋の産地なので大量にある。

いとこの農家から長芋の切れ端をもらった。

 

まず分量とか守らないのが悪いがまあいいかと小麦粉を入れた袋に皮をむいた長芋を

いれ、ふる。

フライパンにバターを入れる、これもちょっと分量より多かった、

フライパンに長芋を投入。いい匂いがする。なんかいい感じ。

だけど、惨事はこれから。小麦粉がこげる。

弱火にはしたものの小麦粉のこげただまができ、黒くなってきた。

醤油を回し入れて、まだそんなに時間が経ってないのに青のりをふってできた。

長芋だから少し生でも大丈夫。と思い食卓に出す。

食べるとシャキシャキしている。夫は無言で大量の長芋をたべる。

試しにチンしてみようかと電子レンジで1分。

今度はこげたところをよけながら、舌鼓をうつ。

長芋のソテー バター醤油と青のり を食べる

ホクホクして美味しい。本来の味はきっとこうなんだろうな

大きさもちょっと大きかったので半生のシャキとホクが混在しているけど。

 

もうちょっと美味しいんだろうなと思いつつ夫とご飯をたべる。

 

 

息子の発言

実家から米をもらいにいってました。苗代の手伝いに子どもたちを連れて行ったりしていましたが、息子が大学生になった時

「友だちんちに米送ってもいい?」

と発言。

いっぱいあるから送っても良くない?

とのことでした。息子は経済学部に通っておりました。

おばあちゃん、おじいちゃん、おじさんが一生懸命育てた米だよ。

といっていて、結婚後もずーと米をもらうことに少し慣れていた自分に

問題があったのかもといろいろ考えました。

 

どんびき

曾祖母がやっていたゲームの名前がどんびきといいました。

明治生まれの人で昭和の終わり頃、近所のおばあさんたちと遊んでおりました。五円

玉を紐でたくさん輪っかにして、賭け事だったような気がしますが、どういうふうに遊ぶのか全くわかりません。

青森南部の五戸の出身です。

 

南部弁(青森)3

へっちょはぐ  意味はへとへとになる、です。

祖母が農業をしていてよく口癖のように言っていました。

亡くなる間際までたくさん働いていました。

 

まごかでする

これは孫の面倒を見ることをいいます。

会社のパートさんが孫が誕生して言っていました。

 

こんびり

農家の10時のおやつタイムをこんびりといいます。大工さんとかも。

パンだったり、おにぎりみんなで持ち寄り食べるのですが、結構太ります。

苗代の手伝いに行ったのですが3キロ太りました。

 

 

 

 

南部弁(青森)2

うどん、すいとんなどの料理をはっとうといっていました。

南部弁?なのかどうかはさだかではありませんが、曾祖母は青森南部の人でした。

調べてみると福島や岩手でもはっとというらしいので、そこからなまったんだろうっと勝手に解釈しています。

いだわしないってつい出てしまいました。もったいないという意味です。

としょりは年寄りのこと。年配の方です。

なげるは捨てる。投げわらしは、今で言うネグレクトなのかな

と独り言を言っていたら夫に少しニュアンスが違う。うん、少し柔らかいかも

 

祖父母も数年前になくなってしまい、?謎の方言を聞くことはなくなりました。

たまにお姑さんから聞くと懐かしくなります。

 

 

 

 

4L

ちびでデブです。体重が増えていって困ったのは服です。LLならどこでも売ってるけど

3L,4Lの服はどこで買えるのか?

一番最初に目についたのは通販のニッセンです。5L位まであります。

若い人向けなので最近はニッセンで買い物してないです。もっと大きなサイズまで

あると思います。若い人向けだとフェリシモベルメゾンもあります。

フェリシモは背の高い人向けかなと思います。

ここ何年かで増えてきて、しまむらにも4Lまであります。

ニッセンだと若いので40代向けに通販のベルーナで買っていましたが、

ベルーナは割と背の高い人向けだと思います。(背が高い人向けと書きましたが

150センチ台です)

 

ニッセンとベルーナしまむらは下着も豊富です。

 

イオンやヨーカドーにも大きいサイズあります。

 

地方ですが、フォーエルも大きいサイズ6L位まであります。

 

靴はスニーカーを買ったりします。23センチなのですが、足も太ってしまって

入りません。4E買ったりしたのですが、幅が足りないので25センチのメンズでやっと

フィットします。

しまむらでは靴も3Lサイズ売ってます。

 

何だ結構どこでも買えると思うかもしれませんが、10年くらい前は大変だったのです。